これは、実際にあったゴミ屋敷の片付け事例です。
ゴミ屋敷になってしまった背景と片付けに至った経緯について書きました。
※本ブログ記事は、2017年2月に投稿した記事を再編集したものです。
ご依頼事例を紹介をするにあたり、個人情報保護のため事実に一部修正を加えてご紹介しております。
目次
ゴミ屋敷の住人Aさん(30代・女性)
Aさんは、埼玉県内の賃貸アパート1DKの間取りに住む女性です。
大学を卒業して、23歳でメーカーに就職。
普通のOLとして働き始めました。
就職と同時に一人暮らしをはじめ、真面目に働き、生活は順調でした。
そんな女性の住む部屋がなぜゴミ屋敷になってしまったのでしょうか。
社会人5年目で退職。そこからフリーター生活。さらに引きこもり状態に。
Aさんは、社会人5年目に仕事を退職しました。
職場の人間関係による精神的ストレスが理由だったようです。
それからなるべくストレスを感じないよう、フリーターとしてアルバイトで生計をたてはじめます。
収入は減ったものの、ストレスを感じないこの生活が当時のAさんにとっては満足でした。
しかし、アルバイトの仕事も次第に同じようにストレスを感じるはじめ、アルバイトも辞めることになりました。
そこからは無職となり、貯金を切り崩しながら生活をしていました。
ご両親が実家に戻るよう説得するも、今の部屋を出ようとしないAさん
無職になったAさんを心配するご両親は、月に何度かアパートに顔を出しては、実家に戻るよう説得してました。
しかし、Aさんはこれまでの生活に執着して実家に戻ることを拒み続けました。
Aさんの母親はアパートに行くたびに部屋が散らかっていることが気になっていました。
そして部屋の片付けや掃除を手伝うようになりました。
この頃のAさんはコンビニ食ばかりで、布団は年中敷きっぱなし。
洗濯は週に1回するかどうか。
お風呂にもあまり入らない。着替えるのも面倒。掃除はやらない。
いわゆるひきこもりの生活になってしまっていました。
そんな生活を見かねたご両親は、何度も訪ねては実家に戻るよう説得し続けました。
次第に強い口調で言い争うことも増えていきます。
Aさんがご両親の説得をシャットアウトするいつもの言葉は「放っておいて」でした。
理想の人生とのギャップに苦悩する
「そんな子だと思わなかった…」
Aさんは、いつの頃からかそんな声が聞こえるようになっていました。
誰が言っているのかはわかりません。
でも、たしかに聞こえるのです。
ご両親は娘のAさんにそんなことを言ったことはありません。
幻聴のような、自分で自分を責めているような言葉。
今の自分じゃダメだと分かっているから、自分を責めてしまう精神状態になっていました。
(ストレスでつらかったし、生活のためにはアルバイトでもしかたないし、いったん休んでから考え直したいし、気力がなくて掃除なんてできないよ。)
言い訳をすることで自分を守るのに必死でした。
でも、自分を責める声は消えません。
今はこんな状態だけど、いつか回復して周りを安心させたい。
(もう少し休めば、きっと元気になる。)
そう信じながらも、なかなか体調が戻らないことにだんだん焦りが募っていきました。
ご両親の覚悟
ご両親はこれまで何度もAさんの部屋を片付けてきました。
ゴミ出し、掃除、食料を買ってくる。
Aさんを想ってできることをして助けてあげているつもりでした。
しかし、また冷蔵庫の食品は賞味期限が切れて腐ってしまっていました。
シンクに放置した汚れた食器や調理器具には、ハエがまとわりついています。
「こんなところに娘を住ませておきたくない」
ご両親はすべてをリセットするように、助けたいと思いました。
そこで私たちに相談が入ったのです。
アパートに訪問してを見て、片付けの見積もり。
ご両親はすぐにでもお願いしたいとの回答。
「実家に連れ戻したい」というご両親の強い思いとは裏腹に、Aさんは首を縦には振りませんでした。
『こんなにたくさんのものを家に持って帰れないでしょ?』とAさんはつぶやきました。
父親は深いため息をついてAさんの顔を見た。
「大切なものだけにしようよ。大切なものがあれば教えてくれる?」と母親が優しく問いかけると、Aさんはしばらく何も答えずただ立っていた。
そしておもむろにしゃがみこんで足元の散乱したものを漁りだしました。
手に掴むものは、チラシや弁当の空き容器、ビニール袋、ペットボトル。
そして脱いだまま放置した下着や靴下。
どれも両親に見せて大切だと言えるようなものではありませんでした。
(この部屋には、今まで私が頑張って生活してきた証があるんだ)
(新生活のために購入した冷蔵庫や洗濯機。初任給で買った洋服やバッグ。仕事で使っていたパソコン。どれも大切。まだまだ使える)
(大事なものだけど、でも今はそれを見るのがつらい。見ているとつらかった時の思い出が浮かんでくるから)
もし、この家財をなくしてしまったら、自分には何が残るのだろうか。
この先、社会に復帰できるのだろうか。
彼女は一番それを不安に思っていました。
(今の私を支えるものがなくなってしまう。でも、このままじゃいけないのもわかっている)
無言で荷物の山をかきわけて大事だと思うものを探し続けます。
これまでに何度片付けを手伝ってもまたすぐに散らかってしまった経緯から、Aさんがひとりで暮らしていくのは難しいとご両親ははっきりと理解しています。
娘が大切だと言っている家財を処分してしまったら、子供がどうにかなってしまうかもしれないことをご両親も怖れていました。
しかし、これまで片付けては元通りを繰り返してきたことが、ご両親を精神的に疲弊させてもきました。
これ以上この状態が続いたら、子供も自分たちもおかしくなると思っていました。
ご両親の意向で処分を決意
Aさんの反対を押し切り、ご両親は片付けの依頼をしました。
片付けの当日。
片付けにはAさんも立ち会いました。
片付けている最中も、Aさんはそばでずっと作業を見ています。
Aさんも、片付けを見ながら、目についた物を自分で拾って引越し用の段ボールに入れていきます。
片付けた荷物は全部で2トントラック2台分の量になりました。
1DKの部屋で2トントラック2台分はすさまじい量です。
片付けは1日で終わらせることができました。
部屋の片付けが終わった時、ご両親はAさんの精神状態を最も心配していました。
母親はAさんの肩や背中を何度もさすりながら「これで安心だね」と語りかけていました。
この部屋は、近々退去することが決まり、ご両親はAさんにしばらく実家でゆっくりとしてみようと説得しAさんも了承していました。
荷物がなくなった部屋は、腐敗した食品のニオイが漂い、ゴミや液体などが床に染みついて跡が残っていました。
大切な子供をこの部屋に住み続けさせたいと思う親はいないでしょう。
窓を開けても風が抜けない部屋。
その澱んだ空気は、荒れた生活の記憶ばかりを思い返させるような雰囲気が漂っていました。
Aさんからの手紙
拝啓 便利屋アルファの皆様
以前は、お片付けのお手伝いをしていただきありがとうございました。
今回、お片付けをしていただいたことで、今の私は生まれ変わった気分でいます。
あのまま、あの部屋に住んでいたら、きっと近いうちに病気になっていたでしょうし、すでに精神的には重い病にかかっていたようにも思っています。
両親に片付けを手伝ってもらっていたことも、実家に戻るよう説得されていたことも、当時の私には、余計なお世話にしか感じられていなかったことが今はとても不思議な感覚です。
多分、それは自分がひとりで生活出来ていたプライドがあってそう思っていたのかなと思います。
片付けの費用は、両親が立て替えてくれていたのですが、あの後、費用を返しました。
実家に戻って、両親に甘えるようになってから、もっとだらしない自分になるんじゃないかとしばらく不安でいましたが、最近またアルバイトを始めるようになって生活費を親に払いながら暮らしています。
だから、前よりはマシな人間になった気がします。部屋も汚さずに生活できています。
アルファさんに片付けをしてもらっている最中は、正直、アルファさんをひどい人達だと思っていました。
大切にしていたものをあっさりと処分してしまったので。
でも、あの後、私のものが何もなくなって実家に戻り、母が泣きながら私に「ごめんね」と言った時、色んな人の想いが理解できた気がしました。自分ではまだなんとかなると思っていたけれど、周りから見たら本当に大変な状況だったんだなと。
母は私のものをすべて捨てたら、きっと私が命を落とすんじゃないかと心配していたと思います。
母がそんな覚悟でいたことを思うと申し訳ない気持ちです。
片付けが終わって放心状態だったので、当時の記憶があまりありませんが、実家に着いたときの安堵感は今も覚えています。
つらい時に支えてくれる人がいることをとても幸せに思います。
助けてもらった経験があるから、前よりも人にも優しくできるような気がします。
本当にありがとうございました。
大変なお仕事だと思いますが、これからも頑張ってください。
敬具
(Aさんの氏名)
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