8月、遺品整理の依頼が入る。
賃貸物件の全片付け。
場所は埼玉県T市

2DKの間取りに男性が一人で住んでいたらしい。
男性は部屋の中で亡くなってしまったようだ。
ここ数年、孤独死が発生したことによる遺品整理の依頼が増えている。
今回も部屋で亡くなっているとのことだった。


部屋の中に入ると、孤独死現場特有の腐敗臭はなかった。
発見が早ければ、遺体が腐敗する前に搬送されるので部屋に腐敗臭は残らない。
今回もそのような現場だと思っていたら違った。

遺品整理前に、室内全体をみてから段取りを決めるのがいつものやり方。
今回も室内を一通り見て回っていた。

浴室を見るため、ドアを開けようとした時、すりガラス越しに茶色のテープがドア枠に沿って貼ってあるように見えた。
ガムテープっぽい。
粘着してドアが開けづらいので、力をいれてドアを押し開けた。

開けると足元にいきなり練炭の燃えカス。
思わず声が出た。

腐敗臭のように現場に入る覚悟を持たせるものもなく、いきなり現れるこういうパターンが苦手だ。
浴室ドアの内側から外枠を塞ぐように、ガムテープがすき間なく何重にも重ねて貼ってあった。


それを見て、死に対する執念が怖いと思った。
本気で死を覚悟して準備して、浴室の内側に道具を持ってきて、内側からガムテープを貼りながら何を思っていたのだろう。

準備しながら、やっぱやめようとか思わなかったのか?
まだ生きていける可能性を少しでも思いつかなかったのか?


死の直前の行動が痕跡として残っている現場は空気が違う。
亡くなってしまってもなお、そこに念があるように感じるから緊張する。

こういった場所の片付けは、何度やっても慣れない。

一同、合掌して作業を開始する。
作業は半日で完了した。




作業の途中で男友達が来ていましたよ。
作業する私たちに会釈して、片付いていく部屋を見ながら泣いていました。

そうやって泣いてくれる友達がいたんだから、死ぬことはなかったじゃないか。
命は大切にしなきゃだめだよ。




そういうのは理屈なんかじゃなく、心で分かるものだっていつも思う。
自暴自棄になって死んじゃいたいとかそりゃ思うこともあるでしょうよ。
でも、やけくそになっても一時的な気分でしょう?

後悔とか嬉しいとか悲しいとか楽しいとか、人の気持ちなんて一瞬でコロコロ変わっていく。
だからほとんどの人は死にたいと思っても自殺を選んだりしない。


だからこの浴室を見て、死に対する執念を感じて怖くなった。
そこまでして死にたいほどのことって何があったのだろうかと。


生きるも死ぬも自由かもしれないけど、お友達が泣くんだから自分で死を選んじゃダメだよって、心で語りながら練炭を片付けました。
こういう現場を目の当たりにして、考えることは意外とシンプルな答えで、理屈で論破できなくてもいいと思う。
何となくそう思うことだって、立派な理由のひとつでいいじゃない。
だってこうやって立派に、ただ生きてるんだから

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