ライター/角田真一

「なぜ、片付けるんだろう?」「不用品を処分することは悪いことなの?」そんな問いかけに便利屋である私が、自分自身の体験をもとに考えてみました。

■片付け好きな自分が嫌いだった当時

片付け好きな自分が嫌い

私は年に1度はかならず、自分の身のまわりにあるものを片付けて不用品を処分します。
着ていない服や、古くなったタオル、不要な書類も1年で結構な量が溜まってくるので、選別して処分です。
この片付けは自分の趣味みたいなもので、学生だった10代の後半からずっと続いています。
10代後半~30歳目前にかけての10年ほどの期間、自分の中にモヤモヤとしたネガティブな感情が溜まることがよくありました。
その感情に自分が潰されてしまいそうで、それを振りはらうために片付けだったんですね。


思いたったら深夜であってもお構いなく、気が済むまでやってしまう私…。
そのモヤモヤの原因のほとんどが人間関係の悩み。
当時の私は、ありのままの自分を他人に表現することができなくて理想の自分を演じようと必死でした。
しかし思いどおりにはいかず、そんな自分に嫌気がさして身のまわりにあるものを処分することで、その時の自分と決別したかったのでしょうね。


ものを捨てたくなる自分のクセを、“リセット癖”と自虐をこめて名付けました。
処分するものは、買ったけど着ていない服、一時的にハマったグッズ、オシャレな部屋に憧れて買った雑貨類。人にもらったものでも、思い出の写真でもその時の勢いに任せて処分しちゃう私。
処分したことを、あとになって後悔することは何度もありましたよ。
それでも片付けた時はスッキリします。でも、そんな風に勢いでものを処分してしまう自分の性格は好きではありませんでした。


短気で冷たい性格だと自覚する私の片付け法は、その性格がモロに出ていましたから。

■ものを「ゴミ」に変える片付け

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みなさんは、なんのためらいもなく不用品を処分しますか?
不用品処分って、“ものをゴミに変える”ことですよね?
不要なものを ゴミ袋に入れて、ゴミの日に出す。
少なくとも、私の中ではそう認識してゴミ袋に入れますから。


でもそれって、とても悪いことのような気がしませんか?
ゴミを出す行為自体、環境問題の視点からみても良いことだとは思えませんし。
だから、つい最近まで私は、不用品を処分しない選択肢や生き方のほうが正しいんじゃないかと思うこともありました。
ものを大切にすることは良いことだし、処分しないで生きられるなら、それにこしたことはありません。


ですが、「せっかく、買ったものをゴミ扱いするのか」とか「人にいただいたものを処分してしまうのか」という“大正義論“を持ち出せば、「片付けたい!」とか「処分しよう」という、まさに今湧きあがっている前向きな気持ちを押し込めることになります。


それは、過去のある地点におろしたイカリで動けなくなる船のように、そこにとどまったままイカリが錆びるのを見て漂うだけの人生になりそうで、産んで育ててくれた両親や親族、支えてくれるまわりの人たちに対して申し訳ない気がしたんです。


前に進もうとするのも、それを止めているのも自分自身で、そもそも誰がこの人生を生きるんだろうか?
それを考えれば、たとえどんなに大切な思い出でさえも、前に進むためならば、自分の手で優しく手放すことができるような気がしました。

■あそびが心の余裕になる

あそびが心の余裕になる

そうやって、自分の性格や傾向を把握しながら、私は片付けの経験を積み重ねました。
勢いで買い物をしないよう慎重に選んだり、飽きのこなそうなものを選ぶようにしてみたり。
服の趣味もシンプル志向になってきたりして、なるべく捨てない生き方へと心は自然に向くようになりました。


同時に、ものに対する愛着が深まり、思い出との距離のとり方もうまくなったように思います。
値段だけが価値の物差しではないことも分かりましたし、つらい思い出でも捨てずにとっておく我慢強さが身に付いた気がします。


そうはいっても、「買い物をしない!」みたいな極端な生き方はしません。
欲しいなと思ったものがあれば、お金に余裕があれば買っちゃいます。
買い物はストレス発散になりますもんね。買い物って楽しい!
そんなわけで、やっぱりものは増えるので、毎年片付けをすることになります…。
だけど、いまだに片付けで迷うことがあるんです。


食品とかトイレットペーパーなんかは、使い切ればそのもの自体が無くなります。
これって超絶ポジティブな片付け法です。
なんせ捨てること・処分することをしないのですから!
小さい頃から、「ものを大切にして、なくなるまで使いなさい」と教えられてきましたし。


ところが世の中には使ってもなくならないものってたくさんあるんですよね。
洋服、写真、本、家具、食器、おもちゃ。などなど。
こういったものは処分するタイミングに迷います。
不要なのだけれど、捨てる積極的な理由もみつからないし…。でも部屋を広くしたいなぁ…。


片付けの途中で何かひとつでも判断に迷ってしまうと、それ以降の判断にブレが出てきます。
処分した判断をあとで後悔したり、片付けをやめてしまうこともよくあるんです。
だから、自分の中に基準やルールをつくっています。ただしそのルールはあまり厳格にならないように心がけています。


何事もあそびの部分が必要ですから。

■手放す勇気

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私は一度も使っていないものでも、不要だと思えば処分します。
自分が欲しいと思って手に入れたものも、その時を過ぎれば必要なくなることはよくあります。
そのものを使わなかったとしても、手に入れることが当時の自分に必要だったのかもしれないし、それで満たされた感情もあったと思うんです。


だから、潔く手放します。


使わなかったけど、もったいないかもしれないけど、大切な自分の一部だったかもしれないけど、今の自分に必要ないのなら潔く手放さなきゃいけない気がするんです。
なぜなら、手放さなければ手に入れられないことがあるからです。
過去にとらわれたり、大切にし過ぎて手放さないことは、今その時に自分が大事にするべきものに時間や気持ちをむける余裕ができません。


私の父親は2015年に病気で亡くなりました。
63歳に発病し、65歳でこの世を去りました。
父親を失くした喪失感や心の動揺は想像以上に私を苦しめました。
今もなお、苦しみから解放されていません。
父の小さな遺影を母から譲り受け、私の自宅に置きました。
遺影に語りかけても言葉は返ってきません。


父の病気が発覚してからの2年は、私にとっての最後のチャンスでした。
けれど私は、父親との間にある不要なものを捨てることができませんでした。


思春期から引きずってきた父親に対する反発心。
男同士だからこそのコミュニケーションに対する照れ臭さ。
仕事が忙しいと理由をつけて、父親に会いに行くことを優先しなかった自分の言い訳。


どれもあの時、潔く手放して自分を変えていたらと、悔しさと情けなさがこみ上げてくるばかりです。


父親が生きている間に「育ててくれて、ありがとう」の一言も伝えられなかった。
手を離してしまったら二度と戻ってこないものはたくさんあります。
後で後悔してもどうにもならないことだってたくさんあります。


けれど
今、あなたが大切にしたいものは何ですか?
あなたがなりたい理想の自分は、どんな自分ですか?
今と理想の間にある、不要なものはなんでしょうか?


今のあなたのために、手放す勇気が必要だと思うんです。




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